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東日本大震災を体験して

東松島市 誌友 大森艶子

会議があり、帰宅し間もなく地震にあいました。「津波・避難」と瞬時に思いました。98歳の母のいる母屋に走り、鳥が異様な鳴き声を発したことも記憶に残っています。我が家は海岸より2.5kmほどの距離にあります。停電で地震速報も聴けず、外出先から帰宅した家族とともに車で、7km離れた山へ向かいました。カーラジオからはほとんど同じ情報で、報道関係者の混乱ぶりを思わせました。やっと午後7時に仙台市若林区に入った情報で、その被害状況の大きさに誤報であればと願いましたが、現実でした。その日は雪の降る寒い夜で、避難した車の中で一夜を過ごしました。
翌日は、県立石巻西高等学校に避難し、夕方に水がいくらか引いたので、3kmほど歩いて帰宅しました。母屋は全壊、離れ・書斎書庫は大規模半壊、敷地内の別棟の家屋に避難し、現在も避難生活をしています。
貞山運河・近くの川が氾濫し、自動車、船舶、大量の木材など想像を超えた漂着物の散乱状況は凄まじいものがありました。交通機関は全部麻痺状態、仙台から石巻までは、まだ全線回復の見通しが立っていません。水は、毎日7km離れた所へ、限られたガソリンで汲みに行きました。食器を洗う水もなく、使い捨ての食器を使い、古い石油ストーブで食事の準備をしました。
大震災に見舞われて、平穏無事の何気ない日常生活がいかに大切で、幸せなことかと痛感しました。人生には根本的に何が必要なのか、見直す機会にもなりました。日々の人との交わりが復興への力強いエネルギーを与えてくれること、心が折れそうになった時、意を同じくする人々との会話をすることが心を癒し、元気にしてくれることを感じました。
食物実技講習会で知り合った方をはじめ、友人、知人からの数々のご支援をいただき、大いに助けていただきました。更に、今年度の食物実技講習会に参加でき、皆々様の元気なお姿に接し、私自身すごく元気づけられました。思いやりと同時に思いやる気持ちと行動の大切さを感じました。
はじめは、家族だけで後片付けをいたしましたが、その後、県内外のボランティアの方々をはじめ、多くの人たちの心温かなご支援をいただき、頭の下がる思いで、感謝でいっぱいです。当地方は古くからの住人が多く、人と人の交わりが濃かったことも大きな力となりました。津波によるヘドロの除去だけで約7カ月かかり、第一段階までたどり着いたという感じで、ホッとしています。今後は、住居の建設、室内のリフォーム、物品の整理と本来の復興にまだまだ時間を要しますが、前を向いてゆっくり、あせらずに進んでいこうと思っています。
今回、食料、飲料及び、生活必需品が入手困難となり、極めて苦しい日常生活を余儀なくされました。流通が滞り、商店にも商品が届かず、開店しても限定発売で、早朝より長蛇の列が続き、被災の上にこのことが更に日常生活にあらゆる負担を増幅しました。
食料不足に耐えるには限界があります。緊急時の食料確保は言うまでもなく、日本の食糧事情の置かれている現状についても考えさせられました。国際間の激しい経済戦争の今日、食料確保はどうなるのか気にかかります。原発事故による放射能汚染の問題もあり、食品流通や復興へのネックになっています。安全な限り消費者としては購入してしっかり協力すべき問題ではありますが、現実は甚だ厳しいものがあります。しかし、私たちはどんな環境であれ、世界に誇れるすばらしい日本の食生活が維持され、健康的な食生活が送れるように手助けができればと思います。
過去の震災、今回の東日本大震災の教訓が後の世の人々に生かされることを願います。地域での防災訓練も非常に大切なことですが、各ご家庭で災害時の対応を話し合っておくことが非常に大切だと思います。各人が住んでいる環境について把握し、万一の時に、その状況に応じた避難ルートを検討し、地域に密着したきめ細やかな防災が必要と考えます。ご参考までにある地方の言い伝え『津波はてんでんこ』というのがあります。これは津波のときはその場よりそれぞれ避難せよということです。また、今回はさらに『欲はいらぬ』、「逃げるが勝ち」です。大切な物を取りに行って犠牲になった人もいます。一人でも多くの人が助かるには、個人個人の危機管理も大切であると思います。命を守るのは自分なのです。


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